みなさんは「適当な人」って好きですか。おそらく世の中にアンケート調査をしたら、たいていの人は「適当な人はイヤ」と言うでしょう。
私も、特に仕事ではキッチリとしていて、ミスが少ない人の方が好きではあったんですが、最近、「適当な人っていいな」と思うことがあったんですね。あんまり深く考えずに、他人に何かを頼める人です。
わたしは普段、農村のとある事務仕事をしているのですが、だんだんと仕事量が増えて、ゴミ拾いだとか、泥上げだとか、草刈り作業とか、現場仕事の割り振りをしなきゃいけない案件が出てきました。
わたしの場合は、「Aの仕事は○○さんにはできないかもなぁ」、「△△さんは高齢だから、ちょっと頼みづらいな」とか、いろいろ考えてしまうのですが、こういうとき、冒頭の「適当な人」が頼りになります。勢いよく仕事を割り振ってしまって、うまく出来なかったときはそのあと考えるのです。まぁ、大抵は適当でもなんとかなります。
今までは「なんでもかんでもキッチリしっかりしなければ」と思っていた私でしたが、このときばかりは素直に、「適当さ、って大事だな」と感心しました。「雑に、」とはまた違うニュアンスの「適当さ」。勢いとか、なんかそういうの。
思えば、我々は(というと巻き込むなと思われそうだけど)、ちょっと“もの”を考えて運びすぎてるんじゃないかと気づきました。先ほど私が語った「適当な人」は、高齢のかっぷくのいいお爺ちゃんですが、多分、昔の男の人というのは、こういう「適当さ」は、ある程度自然に身についていたんじゃないかなと思うのです。むしろ、「考えて行動するなんてダサい」みたいな。
奥さんに「もうちょっとちゃんと考えたら?」なんて言われたら、「やかましいっ!」と怒鳴るケースなんか、容易に想像できます。
結婚とか奥さんの妊娠とかも、昔の男の人は、多分そこまで深く考えてなかったようにも思います。
なんとなく「“しきたり”とかそういうものだから」という適当な考えで。でも、みんなそれなりに夫婦生活を送って老人になってるし、昔は子どもがいる家庭が当たり前でした。
もちろん、現代が「適当」を嫌う時代だというのは承知なのですが、ある程度の「適当さ」は、身につけた方が生きやすいのかもなって気づいたのです。
いやまぁ、そもそもお前は「テキトーな人間じゃないか」って言われる話ではあるんだけども。でも、これでも昔の人たちからすれば、「考えて行動しすぎ」なんじゃないかな。
もっと、「適当にやってみてから反省する」みたいな、先に行動を起こす姿勢も大事なのかもなってお話でした。
要は、「怒られるのを気にしすぎだ」って話なのかも。昔の人は、先生に叩かれても悪さをしていた、強い人たちばっかりだったんだもの。