ちょっとだけ冒険記

インドアな冒険ばっかしてるのです

いずれ死ねば話せなくなるのだから

スポンサーリンク

自分も35歳という、ちょっとした中年のような年齢になりました。近頃は、小さい頃にテレビで見ていたような有名人、好きな漫画家、音楽家の方々が亡くなるニュースを見かけることも多くなって、少なからず、だんだんと自分たちの順番が近づいてきているような感じがします。

だんだんと若者ではいられなくなって、自分たちが、受け取る側から、託す側にまわり始めるのが、中年という年頃なのかもしれません。とはいえ、身の回りの爺さんたちは、70代、元気な人は80代になっても現役なそぶりをしているし、自分としても、何か託せるほど何かを成した人間ではないから、後輩に生き様を見せつけるようなことは、まだまだ先のことではあるのでしょうが。

 

歳を重ねると、これはしょうがないことなのだけれど、お世話になった方々が、軽い認知症になってどうにも気難しくなったり、真面目で勤勉だった方が、他人のミスを目ざとく指摘したり、いじわるになったりすることがよくあります。これは男性、もといお爺ちゃんに多いように感じます。

もともと、昭和のおとこというものは、本能レベルで男尊女卑が染みついていて、現代では考えられないほど家庭内で威張りくさってきた生き物ですから、そういった悪い部分が他所でも目に付くようになったら立派な「老害」の完成です。

私自身は「老害」という言葉があまり好きではないんだけど、残念ながら、前述した方々が歳を取って気難しくなるのをみると、「あ、老害化しているな」と感じることが増えてしまいました。もちろんちゃんと、お年寄りへのリスペクトの気持ちは忘れてないけどね。

でも、そういった老害化していくお爺ちゃんたちから、それなりの頻度で、われわれ若造は納得のできないことや、ちょっと理不尽なことを言われてムッとしてしまうのだけれど、最近は、こういったことのとらえ方が変わってきました。

 

気難しくなった、いじわるになったお爺ちゃんたちも、もともと根性がひねくれた悪人だということはなく、それぞれ70年とか80年とか、気の遠くなるような年月の中、酸いも甘いも味わって生きてきたわけです。そして、残された時間はあまり長くないのも実感しているはずです。

であれば、この世界に自分が生きてきた思いをできるだけ次の世代に繋げたい、という焦りの気持ちで、われわれ後輩に一言物申したくなるのも分かる気がしませんか?まぁ、本人たちがそういうつもりで気難しく、いじわるになっているのかは分からないけど。

現代人が色々と大変なのは確かだけど、お年寄りたちからしたら、イマドキの若者が理屈をこねくり回して、野心や覇気がないように見えるのも、分からないことではないよね。

 

たとえ嫌なお年寄りが相手でも、いずれ死んで話せなくなる前に、何かを受け取ろうとする気持ちが大切なのかも。

スポンサーリンク