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30歳を全力で青春する青森県民のお兄さんのブログです。

【生き方】少数派だったハズの私も結局はぬるま湯に浸かってしまっている

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トイレで踏ん張りながらTwitterを見てたら

不意にハッとするツイートが流れてきた。

 

 

少数派であることが価値になる時代に変わった。

という確信めいたものを感じた。

 

とは言っても、私もここ数年はすっかり

”普通”だとか”無難”とかいうぬるま湯に

ドップリと浸かっているわけだが。

 

 

「少数派であること」というのは基本的に

学校でも社会でも間違いだと教えられるものだ。

 

まぁ実際、常識も価値観の良し悪しも

大体が多数派の押しつけで決められるし、

多数派が無難であるのは間違いないと思う。

 

 

けど、たった20年くらい時代を遡ってみて、

当時から大人だった人達からすれば

多数派でいるというのは絶対的なモノだったハズで、

少数派であることに価値が生まれるなんて

殆ど想像できないような感覚だっただろうと思う。

 

事実、目上の人と仕事をしていても、

「周りがそうやってるから」

で思考停止している人は多い。

 

 

大抵の人は無難に間違いなくやるのが

正しいと信じきっている。

 

結果、痛い目を見ても事態が悪化しても

「私は周りに合わせただけ」という免罪符で

反省しない人たちをたくさん見てきた。

 

 

多数派であることを、多くの人たちは

真面目で良いことだと教えられて育つが、

私はこの時代に持つ真面目さは呪いだと思う。

 

普通にしていては普通に生きていけない時代で

真面目という免罪符を盾に思考停止していては

いずれ社会に淘汰されてしまうだろう。

 

人がいらない社会、時代が来るっていうのに

機械に真面目さや正確さで勝つのは無理だ。

 

「普通」では考えつかない思考やアイデアが

この先の時代では何よりも価値になるのだと思う。

 

 

かくいう私も、自身の「真面目さ」という殻を

結局最後まで壊すことができなかった。

 

いずれ私は社会に淘汰される側の人間である。

 

せめて子供が一人立ちするまでは生き延びようと

必死にもがく爪跡がこのブログだったりする。

 

20年後、社会に出る子供を見送ることができたら

私は人がいなくなった田舎と共にくたばろうと思う。

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